誕生月を迎え

今年の夏が、あっという間に終わろうとしている。朝家を出る時に最初に浴びる日の光に、ジリジリしたもののがない。蝉の合唱がない。陽射しと空気の湿気のなさのバランス感。こういう空気感のバランスがふと変わるのが秋の入り口なんだよな、と思っている。

そしてもうすぐ、ここに金木犀の甘い香りが漂い始める。ミルクティーみたいないい香り。この匂いがし始めたら、その週私は誕生日を迎える。9月って、そんな季節だ。

9月は毎年、「自分の生まれ月」ということで、あらゆるメンテナンスやいろんな棚卸しをすることにしている。

9月1日に人間ドッグを朝から入れて午後は昼食を食べずにそのまま歯医者にいきメンテナンスをする。年によっては、免許書の更新とか、「誕生月だからといって更新などのお知らせが来た面倒なもの」を片付けてしまう日にしているのだ。

こうすると、一気に片付くので、一日お休みをとって、もろもろの野暮用を片付けてしまえる。

そして、誕生日は月末なので、その月末までに人間ドッグの結果が来て、自らの健康や体と向き合って、これからの一年と人生を、どうやって過ごすかを考える。つい何年か前までは毎年一人旅をして、一年に一度、思い切り贅沢に泊まりたい温泉宿に行き、食べたいものを食べる旅行をしていた。箱根に電車でいき、美術館にぶらりと足を伸ばす。気ままに食べたいお店を予約して贅沢な温泉に入り、素敵な宿に泊まる。一人で泊まる宿は寂しいものの、誰にも気兼ねせずに泊まる宿をきめ、スケジュールを決めて本当に自由でいられる。そんな旅の中で、この先どうやって生きていこうかな、と考え事に耽る「自分会議」をすることが日課だった。

ところが、今年は9月の一日に通っている歯医者が休みでメンテナンスは人間ドッグと同日にできなかったり、休もうとする日に引き継ぎ商談が入ってきたりで、思うようにならない。あっという間にこの9月が半分終わってしまった。9月は特別な月なのに、とオロオロしている。昨年の9月も大一番のかかった仕事だったので旅行に行かれず、代わりにエステに行って終わった。今年はバタバタで休みだけは死守したものの、まだ何にも予定を入れられていない。

そこで代わりに自分に何か買い物でもしようかな、と好きなブランドの、そういえば昔から欲しかったジュエリーをお店に見に行こうかなと新作が何かあったりするのかなあとHPを見たりし始めると、うっとりと素敵だなあ、と時間が経ってしまう。

誕生日はやすみを一日取って、非日常なその日、いろんな考え事をする。そのための旅行をする日だけど、さて今年は、私はどこに行こうか。まあ、そうやって考えている時間も楽しかったりもするんだけど。そうやって、今年自分のリズムが狂うのは9月に入って父親のがんが突然の手術になったりだとか、意外と当初の診断より「軽くはない」ことを知ったりだとか、そういうようなことによる。

父は気づいたら、自ら頭を坊主にしており、自宅療養の期間中に一人でドライブに出かけ、私の家に届け物をしに来るのを日々の楽しみにしていた。

つい昨日、手術がすんなり終わって、予定より早く退院を迎え、「帰宅しました。無事、リンパ近くの腫瘍と肺の一部を切ってきました。またテニスにお付き合い下さい」などとテニス仲間にラインをしたりして、母親にバレて怒られたりしている。

いつもの日常が戻ってきたけど、テニスができるようになるまでに結構リハビリが必要だそうで、本人は「肺を切ったので、今までのように走れなくなるのかもしれない」とがっかりしている。

そこですかさず、それでは一緒に、脂肪を燃やしたい私がウォーキングをトレーニングに取り入れようとしているので、それに付き合って一緒にウォーキングしてよ、とラインしてみた。

すると、家族から続々と、それじゃ私も一緒にやるわ、と母も参戦を表明し、弟も俺も一緒に歩く、最近太ったんだよねーと返してきたりして家族のラインは毎日賑わっている。たぶん

このやりとりが私の生活に突然入ってきたから、気が気じゃない9月をあっという間に使ってしまったんだろうと思う。

かくいう私も、生理が長い間来ておらず、自分の体に向き合いながら、本当にこのさきの私はどうやって生きていくんだろうか、と自分自身の生き方と、家族とこの先何年一緒にいられるのか、と、もし私が誰かと生きて行かれるならそんな人生もあるんだろうか、とか今の仕事をこのままこの会社で続けていくんだろうか、とか、働くことで犠牲にしている、本当にやりたいことをしないでい続けている虚無感だとか、誰かに、自分との人生を考えてもらうことがあったりなかったりだとか。

そういうことを毎日の間で考えたりして過ごしている。今年はそんな誕生日なんだなあ、としみじみ秋の虫の声を聞きながら、過ごしている。

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