茜色に輝く子

「羨ましいわ。ママだって不機嫌になりたい。」というラインが来た。

今月の初めから3週間の入院生活を終えた父は、抗がん剤治療がなかなか辛かったらしく、退院できた喜びも束の間、あまり具合も万全でもなく、なんだか機嫌の悪い日が多いという。

「毎日テニスをするんだ」とワクワクしていた本人の希望を受け入れない形で、自身の体はなんとなくだるいらしい。楽しみにしていたテニスもままならない。そのため、「なんだか不機嫌」なのだそうだ。この父の入院中、実は我が家の愛犬ルビーも腎臓を悪くしており、腎臓をとる入院をしていた。文句を言ったり機嫌を損ねたりする父とは違い、ルビーはひたすら明るくて我慢強い。退院したらけろっと元気になって、入院前よりぐっと食欲が増し、よく食べているとのこと。ルビーは登録上、私の息子ということになっている。赤色色素を持ったプードルの雄。ルビー種と呼ばれていた個体を、私は家に迎えることにした。初めて見た時、黒い瞳が光って、暗闇で少し赤く光った。赤い色素を持つ犬種、と知り、思い出したのは友人の「あかねちゃん」だった。

茜ちゃんは人生でぶっちぎりのおしゃれな大学の友人で、同じくらい金銭感覚の壊れたお嬢様だった。大学生の頃の私の惣菜屋のアルバイトが、毎月5万くらいだっただろうか。私のバイト代の2ヶ月分の予算をかけて、ダブ代官山というおしゃれ美容室で、それはそれは似合う、素敵な髪型にするため、月一でヘアカラーをしていた。彼女が乱れた外見をしている瞬間などあるわけがなく、台風の日でさえとびきりおしゃれで可愛かった。でも、そのオシャレには、それはそれはお金がかかっていて、一回8万円前後かけて、カラーとパーマをしてきていた。そんなご予算でおしゃれをしてくるということを、当時の同年代で真似できる子はいない。なにしろ、庶民的な大学生だった私の2ヶ月弱のバイト代なのだから。彼女は何をするんでもお金がかかる。

「あかねにはお金がかかるんだから、仕方がないの」。

彼女は公然とそういうし、周りも「毎月のバイト代はいくらなのよ」といってもなかなか話が噛み合わないし、未だそのヘアカラーの予算はどうやって捻出していたのかは不明。洋服も、ジュンヤワタナベしか着ないと公言していたが、確かに彼女ほど似合う子は本当にいなかった。だから周りは、彼女はそれで良いのだ。ということにして、ああ、またあかねちゃんは今日もとびきりお金がかかって、とびきり可愛い仕上がり、と思っていた。あそこまで突き抜けた可愛さを実現している子は、後にも先にも私は彼女しかいない。大学も卒業する頃になって、一回8万とか、頭にかけるのはダメなんだってことに気づいたから、もう少しお金がかからない方法を考える、と言い出すようになって驚いたことを覚えている。聞くと、しっかり者の妹と一緒に2人暮らしを始めてからというもの、地に足ついた妹から、お姉ちゃん、お金の使い方、ちょっとおかしいと思うよ、とお説教されたのだそうだ。同じ両親に育てられながら、なぜ妹はこんなに地に足がついた子に育ってるんだろう、ということが私には気になったけれど。そんな色々と突き抜けた「あかねちゃん」に名前の由来を尋ねてみた。

「あかねは、茜色。両親が好きな夕焼けの空の色」という。

夕焼け空のあかね色。

そんなあかね色の彼女は、ハンドルネームをrubyにしていた。いいなあ、なんだか素敵な名前。外見だけでなく、そういうセンスまで、私は彼女の虜だった。茜色のプードルの赤ちゃんの目が赤く光って見えた時から、この子をルビーちゃんにしよう、と思った。そのルビーちゃんは、実際のところはルビー君で、男の子であった。でも、目がルビーみたいに闇夜にあかく光る瞬間があることに変わりはないのだから。そのルビーは、もともとものすごく体が弱く生まれた。食に対する執着もなく、すぐに病気をしたり、骨折をしたりして、4歳で4回くらいの入院を経験していて、実に人間よりも入院費が高い、という我が家のルビーもとびきりお金がかかる子に仕上がっていた。
「こんなに病気や怪我ばかりして、辛い思いばかりさせて、ままの育て方が悪かったのかしら。」ルビーが体調を崩したり怪我したりすると、母はそうやって悲しんだけど、見るにみかねて父がいった。

「こんなに手がかかってお金もかかる子は、環境によってはサッ処分されたり捨てられてしまったりすることがあったかもしれない。であれば、少なくともみんなから大事に育てられている人生のほうが、きっとこの子にとっては幸せなはずだ」と。確かに、本当に気が遠くなるほどお金も手間もかかるこの体の弱い個体の犬が、悪いペットショップやブリーダーさんなどと出会ってしまっていたら、もうこの世にいなかった可能性もある。そう思ったら一気に母は、「そうね!どんなに具合が悪くなったって、ママたちのところにいたら絶対に大丈夫。」と、言い出した頃から、どんなに体調を崩されても手がかかっても、弱音を吐かずに看病しては生き生きとするようになった。母性ってすごいな、と私は母を思った。
ルビーは、実際、子供達が自立し、先住犬が老衰し、介護していた頃に、母性を持て余し、「誰からも必要とされていない、終活したい」と言い出した母をみて、ちょっとやばいかも、と思った私と弟が「仔犬を探してこよう」と、母を元気にするために我が家に連れてこられた存在なのであった。父は母性をもてあまし、生きる気力を失いかけた母のことを心配して私と弟に、「ママの様子がおかしくて、元気がない」と言っていた頃と比べ、ルビーの世話をやく母性で輝いた母の姿を見て、「ママが元気になった」と喜んでいた。そうやって家族の中で「ママを元気にする応援団長」として我が家に連れて来られたルビーは、今回もすぐに元気になって、母を元気にし、そういう母を見て父も元気にしてくれた存在だった。

生まれてこのかた生きていくのに病院が必須だったことで、逆に病院に慣れていた。ちょっと検診に行くのに病院に行くにも、もはや日常茶飯事で怖がりもしない。母は、別段病院を怖がることもなく、病院でもはいつでも上機嫌で、先生にもしっぽを振り、注射や治療を素直に受けるルビーを健気で可愛い、とますます大事にする一方、入院して時に悪態をつき、母の言うことを聞かない父に心の中で舌打ちをしているようだった。

「ママだって、いっそ不機嫌になりたいわ」。「いいわね、わがまま放題で!」。
「抗がん剤で、頭がちょっと涼しそうなの」。

最後のはちょっと可愛くいってるけど確実に悪口である。抗がん剤は辛いだろうし、元々加齢によるハゲに抗って育毛剤を使っていたのに、一気に毛を無くしてしまった父の悲しげな顔を見ると、そんな悪態をつきながら「ちょっとかわいそう」と憐れんでもいる。
いいじゃんか、髪の毛はすぐに生えてくるからまたリアップでも買ってあげるよ。とラインしてみた。
先日退院ほやほやで我が家に来た父は、会った瞬間帽子を取って「やあ!禿げちまった!」と見せびらかし、父は父で、もうネタにしている。

いいじゃん。神さまは命までは取らずに髪の毛だけで勘弁してくれたんだから、と言ってみた。「そうなんだよな!」と父は笑う。そんな、病の中でみんな少しづつ何か明るい。

それは、私にとっての救いだった。

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