「は」と「が」の使い方と初恋

「お買い物」とは、私にとって何なのか。

と考えた時に、

お買い物はお仕事だ

いや、

お買い物がお仕事だな

と思ったんです。

そこで、この二つは違うのか?

お買い物=仕事

なのか、

それとも

お買い物こそが(私にとっての)お仕事

なのか。

強調表現としての「が」を入れることが

正しいのか?

などと、

ちょっとすっごくどうでも良いけど

日本語らしい「助詞の悩み」を考え始めたんです、

先日お風呂に入っている時に。

助詞の性格としてはどっちの使い方があってる?などと考え始めたら、止まらない。

そもそも、

そういうことって習えるんだったっけ?

知るにはどうしたら良いんだっけ?

私はどこかでそういうようなことを学んだ気がしたけど、

その薄らな記憶はなんなんだろう、と

記憶を遡ってみた。

ふんわりとそんなことを、数ヶ月間考えていたのですが、

商談に向かう道中の自由が丘の駅中でぼうっと電車を待っていると

「直井メソッド」という国語塾の広告を見つけたんですよ。

それで、

あ、これだった、あれだった、と、

高校生の時に

母がどこからともなく見つけてきた

一見怪しげな小さな国語専門塾にいかされたことを思い出したのです。

(通ったのは、直井メソッドの塾ではありませんよ)

情報源は、幼馴染の高校の同級生の母。

小学校の頃からずっと一緒だった彼女の母から

受験の国語についてはもちろん、<国語だけは妥協できない>という我が母が

探し回って教えてもらった塾だった。

小さなマンション一室で、東大を目指す進学校に通う男子と、女子と、

私と幼馴染の6人が一つのクラスで、小論文の宿題を書き、

全員分を印刷してみんなで読み、あれこれ議論した。

クラスメートの書いた小論が凄すぎて自分の提出物の稚拙さに毎回恥ずかしさを感じていた毎週の課題。

自分の文章の酷さに、隠れたいほどの劣等感を抱き続けたあの頃。

周りが凄すぎて、

自分の文章など何も良いところがないと、本当に思っていた。

「文章は読むな。構造でとけ」という教えをもとに、

東大の過去問を解くに当たり、

その問題の文章を読まずに解く方法を習い、

実際模擬試験でも、教わった通りに解き進めば高得点を叩き出すことが出来た。

文章を読むな、怯むな

まずは設問から読み、それから本文の該当箇所を探し出し、

構造を分解していけば、

答えがみつかる。

文章なんて読んだって、理解に時間がかかるからまっこうからよんではだめだ、と。

今にしてドラゴン桜的な国語の授業だったなと思い出す。

自分が東大の過去問をあれよあれよと、といていく。

そんな自分に驚いた。

楽しかったのだ、あの塾が。

そこでの授業がすごく面白い上に、

講師が男性だったことも思い出し、

年上の人に初めて素敵だなと思った先生がいたな、と

甘酸っぱい気持ちが懐かしい。

確か、年上過ぎないくらいの年上で、長身だった気がする。

その当時の私にはイケメン要素が一個もない彼の、

痩せた体にブカブカに似合っていないスーツの、

天パと思しきヘアスタイルの、

色白なお顔立ちの、

少しそばかすのある塩顔の、

一体何に惹かれたんだっけ?と思ったら

多分、

見た目に一つもグッと来なかったために油断していたところに、

ズバッと頭の中を覗き込まれて

圧倒された驚きと、ドキッとした感情と、

それは彼の<圧倒的な知性>に惚れてしまった瞬間を思い出した。

でも、名前が思い出せない。

懐かしくなって調べた。

珍しかったその塾の名前を検索すると、

なんと、なんと、まだ当時のメンバーに一人だけ加わる形で

その塾は存続しているではないか。

名前を見つけた。

よくある苗字に、珍しい名前。

国語についての研究者と教育者をずっとやっていることを知り、

感慨深い。

先生のことを、私が素敵だなあと淡い気持ちを抱きはじめたのと同じ頃、

一緒に通うことになった,恋愛一辺倒でジャニーズ好きだった幼馴染が真っ先に、

「私、マツナガが好き。」と

いち早く宣言した。

動揺した私は「私も好きだもん」と主張することができず、

ずっと言い出せずにその恋心に蓋をすることになったのだった。

頭がいい人に惚れる、というのはこの頃からだった。

今でも、顔や外見ではなく、

圧倒的に知性がある人に惚れてしまうのに、

当時はそんなことなど知るはずもない私の、純粋で真面目でしかない女子高生の恋だった。

なつかしくその塾のサイトを見ていたら、

講師紹介のページを見つけた。

今やベテランである彼の

「自己紹介」には、一体なんて書いてあるんだろうと、そっとページを見てみる。

++

略歴:1972年山口県生まれ。
早稲田大学文学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程単位取得退学。
専門は日本語の助詞ハ。
2010年以後は、塾長中井に師事し、ヘーゲル哲学を学ぶ。

私は現在、日本語の助詞ハに関する論文を書いています。
助詞ハというのは、「AはBである」という時の、ハのことです。
私は、日本語のハの奥深さに憑りつかれて研究を始めましたが、今では助詞ハこそが日本語の核心である、という仮説すら持っています。
「AはBである」という時の、「Aは」という表現は、「A」という対象をはっきりと意識し、同時に、「Aは?」と問いかける表現です。
実は、「A」を「意識」することと、それを「問う」ことは同じことです。
「AはBである」とは、「Aは?」という問いに対する答えを「B」と示した文です。
人間は、ぼやっとしているだけで行動を起こさなければ、いずれ滅ぶしかないのですから、我々はたえず、周囲のできごとに対して「Aは?」と疑問を抱き、その答えを「AはBだ!」と答えを出しつづけて生きているということです。
私もまた、「助詞ハとは何なのか?」という問いと格闘しています。

++

「専門は助詞、ハ。」

もう、この時点でちょっと笑ってしまった。

なんてタイムリーなんだろう。

私が先日どっちだった悩んだ

「お買い物は」「お買い物が」は、私にとってどっちが正しいのだろうか。という問いについて、

彼は専門家だったじゃないか。

この自己紹介そのものがすでに面白い。

さっと読んだくらいでは、

前半はさておき、

真ん中辺りからほとんど何言ってるんだかちょっとよくわからない。

目をしばしばさせるような、

「ん?もう一回」となるような自分に気づく。

落ち着いてもう一度噛み締めて読んでみると、

そういうことよねえ、と頭を使うこの自己紹介文。

こういうことを言ったり書いたりする男だったなあ、と思い出した。

日頃、

好きになる人に欠かせない要素は何か?と聞かれた時に、

言うと角が立ちそうだから

つい誤魔化して「優しい人」などと答えてやり過ごしてはいますが、

実際のところ

「知性がある人」に恋愛的魅力を感じ、

恋に落ちてしまう私が、

サピオロマンティックっていう言葉をしり、

私がそれなんだろうなと自覚したのは、ここ数年。

学歴ではなく、ただただ人の知性に惹かれるこの性分で、

博士、とか先生、とか呼びたくなるような専門家のことを、

大人になった今でもやっぱり文句なく本能的に好きになってしまうのは

仕方がないことなんだろうな、という

よくわからない落とし所を見つけた今週でした。

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